本名:西原利枝
「青い月夜のランデブー」のヒット曲で知られる彼女ですが、ここに来て死去していたことが明らかになり世間の注目を集めています。
一体、築地さんの死因は何だったのでしょうか?
死去が報じられた築地さんについて「デイリー」は次のように報じています。
戦後の日本を歌声で彩り、
第9回NHK紅白歌合戦(1958年)に出場するなど活躍した歌手の築地容子さんが、
2013年12月15日に死去していたことが21日、分かった。82歳。
晩年はレコード会社や事務所などに所属せず第一線から退いていた。
関係者によると、
全曲集制作にあたり、
担当者が日本歌手協会を通じて本人への連絡を試みて死去が判明したという。
担当プロデューサーは
「日本の歌謡界において輝かしい活躍をされた方。
すばらしい歌声を後世に伝えていくと同時に、
亡くなられたことも公表することで歌手人生の軌跡を残したい」と経緯を明かした。
(2020年4月22日配信)
上記の通り、築地さんは2013年12月に死去されていました。
ただ、当初から死去した事実は公表されておらず、担当者が連絡を入れたことにより、”偶然”判明したのです。
一体、築地さんの死因は何だったのでしょうか?
紅白にまで出ていたのに6年半も…
周りで関わった人もそれなりにいたんだろうに、
結構冷たい世界なんだなって思う。ご冥福をお祈りいたします。
7年も分からなかった事が凄い。
きっと年齢も年齢なんで
付き合ってた業界の人居なかったのかもね。
2010年の歌謡祭、観ていました。
声量もあり、高音が少し不安定でしたが、
とても素敵な歌声でした。YouTubeで2013年頃にショーで歌った動画がアップされていたので、
ご健在なこととばかり思っていました。紅白にも出場しているし、
数年前に彼女の歌唱映像がテレビで放映されているので、
供養もこめて再度注目が集まるといいですね。。。
現在のところ、死因を報じているメディアは確認できませんでした。
また、築地さんが生前に病気を公表した事実もないため、具体的な病名なども分かっていません。
ただ、築地さんの死去について調べたところ、2014年の時点で親族のFacebookで公表されていたことが判明したのです。
ただ、この時の投稿でも死因や病名などの詳細は明らかにされておらず、晩年の築地さんがどんな様子だったのかは分かっていません。
冒頭のデイリーによると、晩年の築地さんは兵庫県内でお店を経営していたようです。
晩年は兵庫県内で暮らし、
店を経営しながら関西を中心に音楽活動をしていた。
ただ、彼女のお店について調べても、業種(業態)や場所などの詳細は1件もヒットしませんでした。
築地さんのファンであれば、彼女のお店に通う人間がいたとしても不思議ではありません。
しかし、そうしたファンの報告が1件もないことに違和感を覚えます。
築地さんのお店について情報をお持ちの方はコメント欄よりお知らせ下さい。
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