【死因:病気?】宮城まり子の今↓吉行淳之介も死去

あの人の今現在や昔(若い頃)は?

こんにちは。ミライです。

今回は、女優の宮城まり子さんを取り上げます。

本名:本目 真理子

2020年3月23日、宮城さんの死去が報じられ世間の注目を集めています。

一体、彼女の死因は何だったのでしょうか?

宮城まり子が死去!死因は病気?

宮城さんの死去について「毎日新聞」は次のように報じています。

日本で初めての肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を運営してきた女優、宮城まり子さんが21日、死去した。

93歳。

東京都出身。

1955年に「ガード下の靴みがき」で歌手デビューした。

その後、
ミュージカル女優などとしても活躍し、
テレビドラマ「てんてん娘」や映画「オンボロ人生」で地位を築いた。

(2020年3月23日配信)

上記の通り、宮城さんは93歳で死去されました。

しかし、現在の時点では詳しい死因については公表されておらず不明となっています。

ただ、晩年の宮城さんは病気を抱えており、2015年の時点で既に自分の死期を悟っていたようです。

設立から47年の月日が流れ、
宮城まり子は病と闘いながら車椅子での生活。

彼女は言う、「私はもう長くない…」

自らの死を強く意識しているという今、
自分を「おかあさん」と呼ぶ「子ども」たちに何を遺せるのか…。

※「https://archives.bs-asahi.co.jp」より引用

晩年の宮城さんは病気により車椅子での生活を余儀なくされ、寝たきりの時間を過ごすことが増えたようです。

しかし、肝心の病名までは情報が得られませんでした。

宮城さんの死因(病気)については新しい情報が入り次第、追記します。

世間の反応

ずいぶん前だが、
ねむの木学園の生徒さん達が描いた絵が展示してある展覧会に行った事がある。

握る力が弱い子供でも描ける水彩マーカーを使った鮮やかな絵に驚いた。

私財を投じて子供たちの為に尽くされた事に敬意を表すると共に
ご冥福をお祈り申し上げます。

真に人を愛して生きた人。

日本のマザーテレサ。

お疲れ様でした。

ゆっくり休んで下さい。

ねむの木学園が宮城さんの意志を受け継ぎ守って行くことを心より願っております。

女優さんでもあり
偉業を成し遂げられ立派な方だったと思います。

というか
90歳越えてらしたんですね。

宮城まりこさんと云えば
吉行淳之介さんが真っ先に浮かんできます。

吉行さんは随分前に先立たれ
宮城さん 凄く寂しかった事でしょうね…。

きっと 宮城まりこさんは
吉行さんの傍へ安心していかれたんじゃないでしょうか。

宮城まり子の今は?

冒頭でも触れた通り、宮城さんは「ねむの木学園」を運営していました。

そんな彼女の”今”について「BS朝日」は次のように解説しています。

静岡県掛川市にある「ねむの木学園」。

88歳(2015年当時)になった今も宮城は「おかあさん」として、
「子ども」たちと暮らしている。

体の不自由や知能の遅れによって
幼き日から親元で暮らすことが困難だった「子ども」たち。

肉親からの愛情に縁遠かった「子ども」も少なくない。

しかし「ダメな子なんかひとりもいない」

そんな強い信念を持つ宮城の愛情を受け、
感性と感受性を大切にする教育により、
「子ども」たちは隠れた芸術的才能を開花させた。

中でも純粋でひたむきな絵は、
本場パリでも絶賛を受けた。

(2015年12月6日放送)

上記の通り、彼女は障害を持つ子供たちを”1人の人間”として真正面から向き合い、その才能を開花させることに尽力したのです。

また、福祉事業以外では2012年に歌手活動を再開しており、芸能活動にも前向きでした。

吉行淳之介の死因は?

宮城さんには事実上の”パートーナー”がいました。

そのパートーナーというのが、作家の吉行 淳之介さんです。

37年間に亘って交際を続けていた2人ですが、実は正式な夫婦ではありません。

というのも、吉行さんには「文枝」という”本妻”がいたため、宮城さんとは不倫関係だったのです。

さらに、吉行さんには宮城さん以外にも”複数”の愛人がおり、女性関係の話題には事欠かない人物でした。

そんな彼も1994年に70歳で死去されました。

死因は肝臓癌でした。

吉行さんは幼い頃から身体が弱く、生涯を通じて様々な病気と闘っていました。

吉行 淳之介が患った病気

(1)肺結核

(2)アトピー性皮膚炎

(3)喘息

(4)腸チフス

(5)躁鬱(そううつ)

(6)乾癬

(7)肝炎

(8)白内障

最終的には肝臓癌で死去された吉行さんでしたが、彼の葬式を取り仕切ったのは本妻ではなく、愛人の宮城さんでした。

最期は肝臓がんで死去する
が葬式一切を取り仕切ったのは宮城
本妻は最後まで離婚に応じなかったが
吉行の母の指示がものを言ったらしい。

※「愛に恋」より引用
(2018年3月8日公開)

スポンサーリンク